必要な事が起きている→その「理由」

目をひそめたくなるような事は必ず人には起きます。ただ、そこで、「なぜ?なぜそんな嫌な事が起きる必要があるの?」と言う質問です。そこで、私の考え→ それは、神様か、はたまた目に見えない何かが、”これからの自分の人生をより良くしてくれようとしているから!” その経験を乗り越えることができたら、”あなたは今よりずっと素敵な人間になれて、その後の人生をもっと賢く生きれますよ。”といわれているのと同じ事だから! そう考えれば、自分の問題に前向きになれないでしょうか?ここで、行っておかなければならない事があります。というのは、勿論、起きる事全てすべてが、自分のために起きているというのは間違いです。内容によっては「それはあなたの傲慢だ、エゴだ」という印象を与えてしまう事柄もあるのは事実です。ですが、自分の身に何か問題が起きた時、それをどう受け止めて生きていくか?それには”様々な心の持ち方のテクニック”を要して進んでいかざるを得ないのです。つまり、それを乗り越えるには自分の考え方の”幅”を広めるしかないのです。 問題を乗り越える際には、同時に何かを失うものもある時があります。それは「犠牲」です。だけど、避けられない「犠牲」に対しても、それに対して誠意を込めて向き合う事でそれはある程度暖和させる事が出来ます。大事なのは、起きた問題にずっとずっとイジイジしないこと。自分にはこの経験が必要だという思考回路を持つよう努めてみる。経験をたくさん詰めば、それが人の引き出しになります。良い事でも悪い事でも、何かが起きたときに、それぞれの引き出しから出せるものがたくさんあればある程よいのです。経験から得た知識が、今後の”武器”となり、”優しさ”にもなる得るんだと、私は思います。 というのは、逆に言えば”悪い事”が起これば勿論”良い事”も日々起こります。突然友人からサプライズプレゼントをもらったり、疎遠になっていた友人と再会出来たり、我が子が先生に褒められたり。そして、それもみんなみんな、自分に必要な事として起きているんだと思います。 以前にもブログで書きましたが、起きる事全てに「意味」と「役割」と「価値」がある。その答え探しを私自身、日常的に意識的に行っています。要は物事を常に分析しているわけです。 何度も言いますが、私のやり方が万人に正解ではありません。ただ、一つの考え方として、心の持ち方のテクニックの一つとして多くの人に知ってもらえたら、、、前回のように誰か1人でも私に賛同してもらえたら、、、と期待しつつ、今日はここで終わりにしたいと思います。^^ 読んでくださった方、ありがとうございました。]]>

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